どうせなら但馬で倒れたい… 日本一忙しい空飛ぶドクターに聞いた救急医療の進化と課題

Opinion

2017.02.21 Tue.  木原洋美

日本の救急医療の進化
重要度を増す、社会学的視点

公立豊岡病院但馬救命救急センター センター長・小林誠人氏

――小林先生が救急医をめざした1990年代前半、鳥取大学医学部にはまだ救急医学講座はなかったそうですね。

「ええ、当時は都会の大学にしか、救急医学講座はありませんでした。有名だったのは、大阪大学(1986年開設)と日本医科大学(1986年開設)の救急医学講座です。あの頃、救急医をめざす若い医師は大体そのどちらかに入って、関連施設で学ぶというのが王道でした。その後は、全国の大学で開設されるようになりましたけどね」

――教育研修体制は今とは違いましたか?

「ぜんぜん違いましたね。昔は、今みたいな臨床研修制度はなかったんですよ。ほとんどの学生は、出身大学(医局)関連の単一診療科で研修を受ける(ストレート方式)のが普通でした。外科講座で学んだ者は外科へ、内科講座なら内科、整形外科講座なら整形外科に入って専門分野のことだけを学ぶわけです。僕は外科講座でしたから、外科のことしか教育されていません。

今は幅広い診療能力が身に着けられるよう、最初の2年間、内科、外科などの必須科を回って医者としての基礎を作ってから3年目に専門性を決める総合診療方式(スーパーローテイト)による研修が行われています。

救急医療は、医学部で習ったすべての分野を診なければいけないのに、1990年代卒業の私の場合、外科という診療科の研修だけを受けて育ちました」

――救急医学が全国の大学で学べるようになったのが、ほんの20数年前。新しい臨床研修制度ができたのが12年前だとすると、それまでの救急医療はどうだったのでしょう。夜間の当直時など、専門以外の診療科の患者さんが搬送されて来た場合、対処できないのではありませんか?

「怖かったですよ。研修医時代、一般病院で当直のアルバイトをしますよね。僕は外科しか知らないのに、アルバイト先の一般病院でいろいろな傷病の患者さんを診させられました。ネットも携帯もない時代です。誰かに相談したくても、誰もいないし、仮にいたとしても、その医師だって救急専門医ではない。習ったことがない症例でも、なんとかしなければいけないので、教科書を見ながらなんとかしていました(笑)。そのために、重たい教科書を山ほど持って、当直に行くんです。こんな薬使っているけど、これで合っているかなとか(笑)。昔の救急医療は、そんな感じでした」

――この20年ぐらいで、劇的に進化したんですね。

「はい、実はガイドラインという言葉も新しいんですよ。以前の日本には、心肺蘇生のガイドラインさえなかったんです、驚きでしょ。導入されたのは2000年です」

――心肺蘇生といえば、本当に基本的なことですよね。そこもばらばらだったんですか?

「そうです。だから昔は、救命救急センターでさえ、医者ひとり一人の心肺蘇生のやり方が違っていました。薬の使い方もぜんぜん違うし、統一もされていなかったのです。その後、ガイドラインを広めるための教育コースができて、爆発的に広がって、『医学教育ツールとして素晴らしい』ということで、外傷、脳卒中、内科、小児救急等のガイドラインが次々と定められ、現在のような教育スタイルが確立されました。

ガイドラインというのは非常に重要です。きちんとしたガイドラインなり医学教育が出来てない、医者それぞれのやり方がばらばらの状況だと、治療法の検証が出来ません。

恐らく、ガイドラインが出そろった2000年以降から、救急医学の爆発的な進化が始まったように思います」

――現在、救急の受け入れ体制には、各科の救急担当医が協力し合って初めて機能する『各科相乗り型』と、ER専門医がすべての救急患者の初期診療を行う『ER型』の2つがあり、現状では、各科相乗り型が一般的だと聞いています。ということは2次救急(中等症患者(一般病棟入院患者)に対する救急医療を担う)、3次救急(重症患者(集中治療室入院を必要とする患者)に対する救急医療を担う)に指定されている病院であっても、救急医学を学んでいない医師が対応にあたっている現場は多いということでしょうか?

「そうですね、救急科専門医はまだまだ足りないのですが、病院としては専門医不在でも救急診療はやらざるをえません。結果、提供できる医療の質に差が生じ、助かる可能性(予測生存率)が高い患者さんであっても初期診療が不適切なために亡くなってしまう症例はあります。なかなか表には出ませんけど」

――救急医が提供する医療と、そうではない医師が提供する医療の大きな違いはなんですか?

「診療科に関係なく全身を診療し、特に重症な場合には救命救急処置、集中治療を行えることが、救急科専門医の一番の特長です。他科の先生方はつい、自分の専門分野に目が行って、生命にかかわる傷病への優先順位の判断が違い、処置が遅れたりということもみられます」

――ドクターヘリの運用が始まったのはいつからですか?

「2001年に岡山県の川崎医科大学が、日本で初めて運行を開始しました。でも、そこから、まったく広まらなかったんですが、2005年にいわゆる『ドクターヘリ法案』が通ってから、全国で配備が進みました。

2017年2月現在、40道府県で合計49機が稼働しています。導入されていないのは、東京都、石川県、福井県、奈良県、鳥取県、香川県の1都5県だけですが、石川、奈良、鳥取は、導入が決まっています。東京都は最後まで、入らないでしょうね。

適切な救急病院があって適切な救急医療を無駄な時間をかけることなくできれば、ドクターヘリは必要ありません。

病院が一個しかない、適切な救急医療を受けられるのがここしかない、でも搬送するには陸路で1時間半はかかる、人口密度がそれほど高くない、という但馬のような地域には、ドクターヘリはなくてはならない存在です」

公立豊岡病院但馬救命救急センターのドクターヘリ

――ドクターカーはどうですか?

「1990年より前に、大阪の千里救命救急センターに導入されたのが最初です。僕が以前、勤務していたセンターです。

ところが、千里のドクターカーは、まったく救命率を上げることができませんでした。最初に救急車が現場に急行し、救急救命士が『これは一刻も早く医師の治療を受けさせた方がいい』と判断した時点でドクターカーを呼んでいたからです。余計な時間がかかりますよね。それなら現場から直接病院へ搬送した方が早いじゃないですか。どう考えても。

そこで千里救命救急センターでは、『なぜ千里では効果が出なかったのか』を詳細に検討され対応策を講じられました。僕が但馬救命救急センターに赴任が決まった際に、その改良された運用システムを改変し、導入しました。

ただし全国的には、ドクターカーの運用はあまり進んでいません。ドクターヘリは国の公的事業なので、比較的統制をとりながらやっていますけど。

ドクターカーは公的事業よりは病院ごとに導入されていることが多く、運用形態、運行範囲、対応疾患ですらバラバラです。きちんと地域の中でお互いの分担や、要請基準や出動基準、搬送先の選定基準を取り決めて運用すれば、すごくいいシステムだと思うのですが・・・」

ドクターカー

――救急医の仕事の範囲はずいぶん幅広いように感じます。単に、病院で待っていて傷病者を治療するだけでは済みませんね。

「『メディカルコントロール』といって、救急医が救急救命士、消防士を含めた地域救急医療システムを統括・コントロールする立場を担うようになって来ています。これも、この10数年で大きく変化したことの一つです。

『医者がそこまで』と思われるかもしれませんが、医療とは医学を含めたシステムそのもの、患者を診るのは診療です。医療全体を、大きな観点・視野で見られるのが救急医の役割だと考えます」

――メディカルコントロールには、どのような効果が期待できますか?

「たとえば、ベッドが満床という理由で患者を受け入れられない『不応需』の問題。これは、地域の病院にお願いして患者さんの転院先を上手く見つけてあげる等、出口問題を解決するところから手をつけなければいけません。

つまり、地域のなかで、救急医療システム、転院先、在宅ケア等含めて、大きな視野でコントロールする人間がいなければ、医療システムとして上手く回していくことはできないわけです。

救急医の仕事は社会学でもあると、しみじみ思います」

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