リアル・ブラック・ジャックがこだわる! ロボット、AIとは逆を行くもう1つのハイテク

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2017.03.09 Thu.  木原洋美

「平成のブラック・ジャック」と呼ばれる金平永二医師。卓越した内視鏡手術の腕前を武器に「フリーランス外科医」として世界を股にかけ活躍した異色の経歴がその由来だ。「本当に手術をしたのか」と疑われるほど傷痕を残さない金平式手術。それを可能にしたのは、金平医師自らの発案による「メイドインジャパンの技術を結集させた手術器具」だ。不可能を可能にした開発ドラマを追った。(HEALTHCARE Biz編集部)

BJニードルRとBJピコを使用し、胃内手術を行う金平医師

リアル・ブラック・ジャックが開発した手術器具

孤高の天才外科医・ブラック・ジャックがもし、現代社会に実在したとしたら、きっとこの『BJニードル』と『ダブルベンダブル 鉗子』を用いて単孔式の内視鏡手術を行うだろう。

ただし、人間嫌いの彼には、心から信頼して共同開発に臨む「仲間」がいない。
ゆえに、この世界一の手術器具を手にするには、製品の販売開始を待つしかないのだ。

代わりに、誰よりも先に、これらの器具を手にし、手術を行うのは金平永二。「日本初のフリーランス外科医」として、内視鏡手術の普及と革新に努めてきた「リアル・ブラック・ジャック」である。

そんな金平が、『BJニードル(BJはブラック・ジャックの頭文字)』の開発を思い立ったのは2008年の秋だった。

「僕はもともと直径2㎜の針のように細い鉗子を使っていました。1990年代の後半から存在していましたからね。でも品質的には、非常に不満足なことだらけでした。とにかく弱いのです。ちょっと力を入れるだけで、クニャッと曲がって使い物にならなくなってしまう。患者さんの身体にかかる負担が劇的に小さいので、世界でもオタッキーな外科医は好んで使っていましたが、皆、学会で会うと文句言を言っていたくらいです。そうしたら、製造中止になってしまった。『あれ、俺たち文句を言い過ぎたかな』と反省しましたが、もう遅い(笑)

単孔式内視鏡手術が生まれて、世界中に普及しだしたのは、ちょうどその頃でした。だけど僕は、純粋な単孔式には危険が潜んでいると思ったんですね。将来的には、純粋な単孔式になるのかもしれませんが、現状では、制限が多く不安定なやり方をしていましたので、(自分が患者だったら、怖くて受けたくないな)と思っていたのです。

それで、ほぼ単孔式だけど、極力目立たない創痕で、迅速性と安全性は雲泥の差で高める方法として、手術を補助する鉗子を1本足すことを考え付いたのです。

ところが、一番欲しい時期に2㎜の鉗子がなくなってしまった。
もう、なんてことだと。それなら自分で開発してしまおうと決意しました」(金平)

従来の腹腔鏡手術(左)と単孔式手術(右)の創痕

文字通り、1つの穴からだけ行う純粋な単孔式に対し、金平は、補助用の鉗子をもう1本、別の場所から差し込むことを考案したのだ。

一般的な内視鏡鉗子の直径は5mm~10mmもある。それを2㎜まで細くし、かつ簡単に曲がったり壊れたりしない、強靭な剛性と耐久性を実現させるのは簡単なようで難しい。実際、世界にはまだ、金平が満足する鉗子は存在していなかった。

それを、どこと一緒に作るか――。

「日本、スティール、鋼、優れた加工技術、歴史ある、手術器具等の条件でウェブを検索していたら、ニチオンさんが浮上してきました。

1911年(明治44年)創業で。なんとNHKの時報はニチオンさんの音叉だし、世界の有名な音楽家も、ニチオンさんのチューニング・フォーク(音叉)を使っていると言うのです。凄いですよね。
『こんな会社があったんだ』と鳥肌を立てながら見ていたら、明治時代から既に、耳鼻咽喉科用の鋼製小物を作っていることが判りました。ビンゴでした。

もうここしかないと思ってすぐに電話したんですね。『近日中になんとか来ていただけませんか」とお願いしたら『今から行きます』(笑)

そして本当に、船橋市(千葉県)から当時僕がいた上尾中央総合病院(埼玉県)へ、その日のうちに飛んで来てくれたんですよ。もうびっくりしました」(金平)

飛んできたのは、株式会社ニチオンの代表取締役社長の本田宏志。
実は、金平と本田は既に面識があった。

「金平先生に初めてお会いしたのは2005年、ナポリでした。名刺交換をして、5分間ほど立ち話をしただけですが。

SMIT(スミット)という先端医療技術学会の国際会議がありまして、私は、ある先生と一緒に持針器という内視鏡の器具を紹介するために参加していたのですが、金平先生は司会を務めておられました。それが素晴らしくて。イタリア語からドイツ語に英語を操って、欧米の方々とこんなにコンダクティングできる日本人の外科医は見たことがなかったもので、強烈な印象に残っています。

まさか、その金平先生から、ご連絡をいただけるなんて、想像もしていなかったので、喜んで馳せ参じました」(本田)

株式会社ニチオン 代表取締役社長 本田宏志氏

無論金平も、ナポリでのことは覚えていた。
ただ、本田の会社がどんな物作りをしているかまでは知る由もなかったのだ。

「まさか、あの時は、こんなお付き合いする未来があるとは、夢にも思っていませんでした」(金平)