「救命力世界一」を実現させる千里救命救急センターの哲学

Opinion

2017.04.18 Tue.  木原洋美

日本の救急医療に迫る連載シリーズ。第1回目の前回は、日本で初めてトリアージを用いた災害医療を展開した小林誠人医師に日本の救急医療の歴史と課題について聞いた。2回目の今回は、世界最高水準の救命率を誇る「千里救命救急センター」の基盤を築きあげ、現在も顧問を務める甲斐達朗氏に、日本の大都市における救急医療の進歩の歴史と課題、展望を聞く。阪神淡路大震災、池田小事件を率いた甲斐氏が語ることとは――。(HEALTHCARE Biz編集部)

救急通報は突然入る
その時どうするか?

「工場の入り口で人が倒れています。救急車、お願いします」

悲鳴のような声で119番通報が入ったのは昼の12時10分。昼食のお弁当を届けに来た従業員の奥さんからだった。

天候:晴れ、気温:19度、風向:北、風速:2m。

工場は豊岡市内にあり、南から北向きの入り口の脇には、塩素ガスのボンベが置いてある。塩素ガスには毒性があり、濃度2~5ppmのガスを吸い込むと、涙が流れ咳も出る。5~30ppm では呼吸が苦しい、目が開けられない等の症状が起こり、30分から1時間で生命の危機に陥る。

現場に到着した救急隊員からは「ゆで卵のような臭いがする」「刺激臭がする」との情報が入ってきた。工場内でなんらかのガスが漏れ、工場内に2名、入り口に1名倒れていることを確認したという。

「残りの従業員は皆、昼休みで外に出ているのではないか」と、通報者の女性は話している。工場内には、塩素ガスのほかにも危険物がありそうだ。
確認作業を進める間にも、消防には次々と通報が入り始めた。いずれも、工場周辺からの119番だ。

  • 12時14分 45才 男性 咳が止まらず呼吸ができない
    50才 男性 咳が止まらず呼吸ができない
  • 12時16分   5才 男児 咳が止まらず呼吸ができない
  • 12時18分 70才 男性 喉と眼が痛い  意識正常
  • 12時20分 20才 女性 喉と眼が痛い  意識正常
  • 12時22分 40才 女性 喉と眼が痛い  意識正常
  • 12時24分 35才 女性 喉と眼が痛い  意識正常

一体何が起きているのか? 事故なのか? それともテロなのか?

* * * * *

――これは、千里救命救急センター(大阪府吹田市)と大阪大学医学部附属病院高度救命救急センターが中心になって開催している勉強会で提示された「具体例」の1つ。実際に起きた災害をモデルにし、発生から順次、「司令室はどのような対応をしますか。」「現場到着した救急隊は、どのような対応をしますか。」「どのような種類の車両が出場しますか。」「指揮隊はどのような対応をしますか。」などの設問があり、机上シミュレーションを行う。

勉強会で使用された資料の一部。実際のケースをモデルに、時系列で明らかになった状況をもとに、その場ですべき対応を問う「設問」に取り組んでいく。

主催者の1人、甲斐達朗氏(千里救命救急センター顧問)はいう。

「町工場のガスボンベの栓を開けるだけでも、テロは起こせてしまいます。身近な日常で起こり得るのだと、常に想定し、備えなくてはなりません
実際に起きた時、関係組織はどう動くのか、たとえばどこまでを危険区域と見なし、救急車両はどこに待機させるのか、住民の避難はどうするのかなど、医療機関以外の対応も全部聞いて、連携を図っておきます。
テロとは何か、VXとはどんなガスかみたいな、単なる知識ではありません。すべて実践を想定したものです」

千里救命救急センター顧問 甲斐達朗氏

勉強会には、豊能・北摂地区の消防機関大阪府警察、医療機関、保健所等のほか、地元の陸上自衛隊も参加し、万が一の事態を身近な出来事として共有した。私たちは通常、テロといえば銃や爆弾によるものを想像する。しかし実際は、もっと簡単に実行できてしまうと甲斐氏は警告する。

「どの段階で自衛隊に連絡したらよいのかも話し合っておきます。自衛隊の要請は知事しかできませんが、事前に情報を流しておけば、いざという時の全く変わってきますからね」

20年先を実践してきた
千里救命救急のあたりまえ

こんな地域連携の舵取りを、救命救急センターがやっていることを、一体どれほどの人が知っているだろうか。昨今は国も「メディカル・コントロール」の充実に力を入れているが、千里救命救急センターを中心とする「豊能地区」では、メディカル・コントロールという言葉が生まれる遥か前から、こうした活動に取り組んできた。

「うちの地域ではあたりまえ。通報は突然来ます。日頃から準備しておかなければ、対応できません。一般救急への対応がしっかりできていなければ、災害救急は無理でしょう」

災害救急に対して、これほどの活動ができる背景には、一般救急の質の高さがあるのは間違いない。

甲斐氏が昨年までセンター長を務めていた千里救命救急センターは、吹田市、豊中市、池田市、箕面市、豊能町、能勢町の4市2町からなる豊能医療圏=100万人をカバーしている。

そのうち豊中市は、2009年12月、世界最高水準の“救命率”であることが消防庁の調査で判明した。全国の心肺機能停止傷病者の救命率などの状況は、都道府県別では富山県が17.6%と最も高かったが、豊中市は23.7%と同県を上回り、全国でもトップレベルだった。さらに、救急において「世界一の救命都市」といわれている米国シアトルの16.3%と比較しても、豊中市の救命率は高く、世界最高水準であった。

豊中市の救命率を支えているのは、世界でも高いレベルの「救命力」であり、千里救命救急センターの功績が大きい。1979年の開設から今日までの同センターの歩みは、日本の大都市における救急医療の進歩の歴史そのものだ。

以降、当初からのメンバーでもある甲斐氏に聞いた、進歩の過程とこれからについてのインタビューを紹介する。

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