「自分がトリアージされる覚悟」はあるか?南海トラフに備える災害医療の進化と課題

Opinion

2017.07.05 Wed.  木原洋美

日本の救急医療の変革に迫る連載シリーズ。今回は、自然災害大国ニッポンの「災害医療」の進化と未来を追う。毎年のように発生する大きな災害のたび、直面した課題に向き合い、改善を積み重ねてきた日本の災害医療。その1つひとつの真摯な歩みが、日本を世界トップクラスの『災害医療先進国』へと進化させた。そんな日本における災害医療の進化を牽引してきたリーダーの1人、日本のDMATを率いる近藤久禎氏に、進化の軌跡と今後の課題を聞いた。(HEALTHCARE Biz編集部)

東北新幹線乗車中に
大震災発生! 即座に活動開始

2011年3月11日14時46分18.1秒、東日本大震災が発生したその時、近藤久禎氏(国立病院機構災害医療センター副災害医療部長、厚生労働省DMAT事務局次長)は仙台方面に向かう東北新幹線の車内にいた。

「石巻赤十字病院へ講演に行く途中でした。ちょうど宇都宮を過ぎたあたりです」(近藤氏※以下「 」内はすべて同)

DMATは「災害急性期に活動できる機動性を持ったトレーニングを受けた医療チーム」。災害医療のスペシャリスト集団であり、災害派遣医療チームDisaster Medical Assistance Teamの頭文字をとって略してDMAT(ディーマット)と呼ばれている。

その場に居合わせたほとんどの人々が恐怖と不安におののき混乱するなか、DMATの統括責任者の一人として、近藤氏は機敏に行動を開始した。

まずは新幹線を脱出し、近くの避難所へ。次いで手当てが必要な怪我人を伴い病院に向かう。さらにタクシーに乗って福島県立医科大学に入り、DMAT活動拠点本部を立ち上げた後、ヘリコプターで岩手県庁へ飛んだ。

「既に300人近いDMATが集まっていました。さっそく司令塔として指揮を執っていたところ、今度は『福島で原発事故が起き、大変なことになっている』という連絡が官邸から入り、福島県に戻って、緊急被ばく医療調整本部を立ち上げました。それが震災発生から3日目の14日。最も急いだのは住民に対する放射能の影響のスクリーニングです。これを受けてもらわないと避難所にも入れないし、場合によっては避難所に入っても支援が受けることができないのです。結局10日間ぐらいのうちに約7万2千人をスクリーニングしました」

以上は、東日本大震災における近藤氏の活動の、ほんの触りに過ぎない。
この後半年間、近藤氏は100日あまりも福島に通い詰め、活動を続けた。

発災後10時間のDMAT本部の様子

『災害医療』と聞いて、ほとんどの人が思い浮かべるのは、被災現場や医療機関で懸命に負傷者の治療に当たる医療従事者の姿ではないだろうか。
しかし、東日本大震災のような激甚災害において最もキーとなる『医療』は、限られた医療資源(医療従事者や医療施設など)を最大限に活用し、1人でも多くの人を救うための体制作りだという。

その意味で日本は、地震、津波、台風、火山の噴火等々、毎年のように大きな災害に見舞われる自然災害大国として、わずか20数年の間に、世界をリードする『災害医療先進国』へと進化をとげた。
進化を牽引するリーダーの一人、近藤久禎氏に、これまでの軌跡と今後の課題を聞いた。

近藤久禎氏。この日はDMATの研修会開催日。事務局員もほぼ出払っていた
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