「自分がトリアージされる覚悟」はあるか?南海トラフに備える災害医療の進化と課題

Opinion

2017.07.05 Wed.  木原洋美

奇しくも阪神淡路大震災の年
災害医療センター開設

日本における災害医療元年は1995年、阪神淡路大震災の年だろう。
奇しくもこの年、『国立病院機構災害医療センター』が開設した。

同センターは、政策医療分野における災害医療の準ナショナルセンターであり、日本各地に610か所以上(2012年現在)ある災害拠点病院のトップとして、行政と連携しながら災害医療の中心を担っている。DMAT事務局も、このなかに入っている。

ちなみに、この年にできたということは、構想自体は相当前からあったことになる。
当時の災害医療の状況を、近藤氏は次のように振り返る。

「あの震災時には、地震発生から10~12時間の急性期から亜急性期にかけて、大勢の医療従事者が現地に入って支援を行いましたが、そのほとんどは亜急性期に入ってからで、最も重大な生死にかかわる時期の医療支援が欠落していました。
しかも、多くの病院が倒壊してしまい、傷病者を収容する施設も足りませんでした。建物が脆弱だったのです。
情報の共有がなされなかったのも問題でした。ある病院には患者が殺到し、医療従事者が足りず大変なことになっているにも係らず、別の病院は暇。あるいは同じ施設内でも、人手が足りない所と暇なところがあった。
さらに重症患者について、大阪まで搬送すれば『避けられた災害死』が500名はいたとも言われています。ところがあの時、ヘリコプターで緊急搬送を行った病院はわずか1か所でした」

大混乱する現場の様子が見えるようだ。

そうした教訓を活かし、各行政機関、消防、警察、自衛隊と連携しながら救助活動と並行して、医師が災害現場で医療を行う必要性が認識されるようになり、災害拠点病院と広域災害救急医療情報システム(EMIS)の整備も進む。

04年には東京都のDMATが誕生し、大規模地震時の広域医療搬送計画も策定された。

「阪神淡路から5年目の01年には、国も一度災害医療体制の進展について評価を行いましたが、DMATや広域医療搬送計画の必要性については検討段階で、具体的な動きにはなっていませんでした。
大きく動いたのは04年です。この年、新潟県中越地震が起きたのですが、急性期にあたる24時間以内に現地で活動した医療チームがわずか2チームだけだった反省から、当時の小泉総理が号令をかけ、国がDMATを要請して、都道府県がそれを活用し、被災地に迅速に入り、救命活動が行える体制が構築されていきました」

そうして阪神淡路大震災から10年目にあたる05年4月、厚生労働省により、全国組織の災害派遣医療チーム、日本DMATが発足した。

DMAT隊員に求められるのは
柔軟性と決断力、そしてタフさ

近藤氏は、1970年生まれの46歳。
実家が開業医だったことから自然に医師の道へ進んだが、当初から志したのは白衣を着て患者と向き合う医療ではなく、広く社会と向き合う災害医療の世界だった。

日本医科大学を卒業、研修した後、同大の大学病院を経て、国立保健医療科学院(当時の国立医療病院管理研究所)で国際保健(グローバルレベルでの公衆衛生、医療政策等に関する学問)を学び、その間、国際緊急援助隊員として3度の海外活動を経験。2000年に発生したモザンビークの洪水災害時には、実質的なリーダーとして派遣され、以来、JICAの国際医療援助隊にはプランニングの段階から携わるようになる。

一方、1999年に起きた東海村JCO臨界事故をきっかけに、被ばく医療の重要性を痛感し、放射線医学総合研究所に入所。4年間、被ばく医療体制の確立に尽力した後、厚生労働省に異動。感染症やテロへ対策への取り組みを経て、2009年から国立病院機構災害医療センター教育研修室長に、2010年から厚生労働省DMAT事務局次長(併任)になった。

まさに、日本における災害医療の進化と共に歩んできたスペシャリスト。活動のフィールドの幅広さには感嘆を禁じ得ない。

近藤氏が牽引するDMATの活動も然り。

DMATの活動
◆本部活動
◆病院支援(診療支援、病院避難支援)
◆現場活動(救護所、救助現場)
◆地域医療搬送
◆広域医療搬送(機内活動、SCU活動)※SCU=広域搬送拠点臨時医療施設
◆避難所救護所活動
◆その他

災害医療をスムーズに行うには、これだけの展開が必須なのだろう。
なかでも重視しているのは本部機能の構築だ。

「現地入りしたDMATが最初に行うのは、基本バラバラに運営されている医療機関を統括し、現状の医療資源で最大限の力を発揮できるような体制を、迅速に構築することです。それなくしては始まらない」

次いで病院の建物の安全性、医師や看護師等々医療資源の状況を把握する。
現場における医療活動や病院の支援活動を行うのはそれからだ。また、巨大災害の発生時には、患者を全国的に搬送する必要性も生じる。

しかも、大きな災害のたびに、対応すべき新たな課題が増えて行く。

「DMATの隊員に必要なスキルの第一は、基本的な理論を知っていることはもちろんですが、それに囚われない有効な手を、過去の引き出しからでも何でも取り出し、常に打ち続けられる柔軟性です。つまり、基本的な論理と共にいろんな事例を知り、ある程度の経験もあって、なおかつタフでなければならない
すべての決断はそうですが、ぜんぶ見えた後は誰でもできる。だけど現実は霧に覆われており、断片的な情報しか入ってこない。そのなかで適切な決断をしなくてはいけないのがDMATの指揮を執るということです。ある程度のことは基本に従えばいい。でも安全管理の仕事ひとつとっても状況は常に違います」

そんなDMATの隊員に登録されるには、厚生労働省主催の研修会に参加し、試験に合格しなければならない。17年3月末までに登録されたチームは1571、隊員は1万1418人にのぼる。

それぞれのチームは病院ごとに組織することになっており、医師1名以上、看護師2名以上、あとはその他のさまざまなサポート業務を行う調整員を1名以上、この1、2、1以上のチームによって構成される。災害時には、まず自分の病院から、病院の救急車や車両によって出動するが、特に遠隔地の場合は自衛隊の航空機、艦船などで被災地に投入された例もある。

研修では、災害時の傷病治療の講義、実習も行うが、メインは被災地での動き方だという。地震災害や津波など、さまざまな災害の場面を想定し、現状の医療資源を最大限に活用しつつ、あらゆるニーズに応えていくためのマネジメントを学ぶ

「災害医療を1人の人間にたとえるなら、DMAT隊員は神経細胞の役割を担います」

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