無精子症でも赤ちゃんができる!不妊治療の常識を覆した男

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2017.07.10 Mon.  木原洋美

日本国内で約6組に1組が不妊検査・治療を経験しているという昨今(厚生労働省・第15回出生動向基本調査)、不妊治療において日本のみならず世界中から注目される医師がいる。無精子症の治療の第一人者、田中医師だ。1985年に日本で初めて成功させたGIFT法から近年のROSI法まで、長年の研究を重ねても尽きることのない知的好奇心と情熱を追った。(HEALTHCARE Biz編集部)

世界唯一の治療法ROSIで「非閉塞性」でも父親に

不妊の原因の半分は男性にある。当然だろう。なにせ妊娠は男女の共同作業なのだから。しかし、世間では未だに、原因を女性だけに押し付ける風潮があり「3年子なきは去れ」という言葉も生きている。男性にとっても女性にとっても不幸な思い込みである。

男性不妊のもととなる病名には「乏精子症」「無精子症」などがある。破壊力抜群のこの名称、ズバリだから仕方ないのかもしれないが、なんとかならないものだろうか。

ちなみに男性不妊の原因の1位は「乏精子症」、2位は「無精子症」である。

無精子症には精巣(睾丸)にメスを入れて探せば精子がみつかる「閉塞性」と、精巣を切り開いてみても精子が全然みつからない、もしくは未熟な精子や尻尾がなくて動けない精子か奇形精子しか見つからない「非閉塞性」の二通りがあるが、「非閉塞性」には「成す術がない」のが、つい最近まで世界の常識だった。

それを変えたのが、田中温医師。
北九州市で、不妊症に重点を置いた診療を行っている『セントマザー産婦人科』の院長だ。

田中温医師。月に一度、実施している「不妊カウンセリングin東京」の会場である江東病院(東京都江東区)にて

鹿児島本線折尾駅から徒歩数分の同院には、首都圏はもとより遥かイスラム圏からも患者が押し寄せる。目当てはもちろん不妊治療。とりわけ、田中医師が世界で唯一確立させた、無精子症を原因とする男性不妊治療の切り札「ROSI(円形精子細胞卵子内注入法)」を希望する患者が増えている。

ROSIは、無精子症の患者さんが、ご自身の精子細胞で赤ちゃんを授かることができるただ一つの治療法です。イスラム教では、他人への精子卵子の提供が犯罪になるため、人工授精ができません。だからでしょう、患者さんはアラブ首長国連邦やエジプトといった国々から来られる方が多いです」(田中温医師。「 」内、以下同)

2つのハードルを越えて
誕生させた赤ちゃん300人以上

ROSI自体は既に20年前、1996年に初の成功例が報告されており、以来世界中の不妊治療医によって試みられた経緯がある。

しかし妊娠はするものの出産に至る確率は極端に低く、正式な出産児数は世界中でわずか7名しかなかったことから、「価値のない治療法」と完全否定されてしまう。

だが、田中医師は諦めなかった。

ほかならぬ、ROSIの生みの親・柳町隆造博士(ハワイ大学名誉教授)と共に研究していた人物との交流を通じて、「できないはずがない」と確信していたからだ。
柳町博士は、“補助受精の開拓者”として知られる生殖生物学者で、ノーベル賞候補にもなった大御所だ。現在、生殖医療に広く用いられる体外受精(IVF)・顕微授精(ICSI)を開発した人物でもあり、哺乳類におけるクローン動物作製においてもその先駆者の一人として名を連ねている。

「睾丸のなかにある精子になる前の円形精子細胞と言う未熟な細胞も、遺伝学的には精子と同様の生殖遺伝能力を持つことが証明されています。ただ、尻尾がなくて動けないから、妊娠に至らないだけなのです。それなら、その精子細胞を、顕微鏡受精で直接卵子に入れてやれば子供できるじゃないかということを、マウスを用いた実験で証明したのが柳町先生でした。
私はその事実を知り、さっそく先生と共に研究していた研究者と連絡をとり、アドバイスを受けながら、人間に応用する研究に取り組みました」

尻尾が生える直前の細胞が、円形精子細胞。睾丸内でこの細胞を見つけることができれば、閉塞性の無精子症でも、妊娠することが可能になる

研究の過程で、田中医師は、ROSIを成功させるには、克服しなくてはならない2つのハードルがあることを突き止めた。

「1つは、『円形精子細胞』という、遺伝学的に精子と同様の生殖遺伝能力を持つ精子細胞を鑑別するのが、大変困難なことでした。精巣内にある精細管(精子を作る管)のなかから探すのですが、精細管内には似たような細胞が数種類あり、非常に紛らわしいのです」

精細管内の様子。円形精子細胞がどれなのか、生殖医療の専門医でも、見分けるのは困難極まりない。だが見つけなければ、受精できない

そこで、大学の研究者との共同研究により、円形精子細胞と最も鑑別が難しい『精祖細胞』を詳細に比較観察。両者の形態学的な違いを発見し、ある程度見分けたところで、さらに『染色体検査』によって、ほぼ完全に鑑別する方法を開発した。

2つめのハードルは、「卵子を十分に活性化させなければならない」ということだった。

「通常の妊娠では、精子が卵子の中に入り受精が成立すると、精子頭部から特殊なタンパク質(スパームファクター)が分泌され、卵子を活性化させることにより受精現象が起きるとされています。
しかしROSIでは、こうした卵子の活性化が不十分になるため、受精後の胚の分割が上手くいかず、妊娠・出産に至ることが難しいのです」

この点については、『電気刺激法』により、約80%の確率で卵子を活性化させることに成功した。

以後、今日まで、男性不妊で悩む夫婦の間に誕生させてきた赤ちゃんの数は、優に300人を超えている

「開業医にできるはずがない」
世界は成果を無視した

「ROSIによって、無精子症の治療に成功し、安定的に150人(当時)もの赤ちゃんを誕生させることが出来た」

2013年、田中医師は厚労省記者クラブにて記者会見を開いて発表し、産経・毎日・西日本新聞各紙が大きく報じた。しかし、世界の反応は冷ややかだった。そして国内の反応もそれに準じて行く。

「何かの間違いだろうと、全然相手にされませんでした。世界中で7例しか成功していない方法でしたから、一介の開業医にできるわけないと判断されたんですね。大学や研究機関の発表なら、違う受け止め方をされたと思います。
著名な学会誌に何度も論文を投稿しましたが、ほんの2日程度で、落選の返事が来る。中を読まずに、タイトルを見ただけで却下されたんでしょう。
悔しかったですよ。僕はライフワークとして取り組んでいますし、実際にこの治療によって赤ちゃんが誕生していることは、当院の職員全員が知っていますからね」

無論、諦めない。

「思案した結果、柳町隆造先生を担ぎ出そうと思い立ち、なんとかお会いする機会を得て、僕の研究成果をお伝えしました。でも、やはり信じてもらえない。それでも、『僕の論文読みなさい』と言って下さったので読むと、『なぜ哺乳動物の中で人間だけが、円形精子細胞を用いた治療が成功しないのか、ほかの動物は全部生まれているのに。理由は研究が足りないからだ』と書いてありました。
勇気が湧きましたね。先生は可能だと思っているんだなと。
それでハワイにいらっしゃる先生のもとへ、毎日のように、成果の論文をメールし続けました」

進展がみられたのは半年が経過した頃から。それまで反応がなかった柳町氏から、さらに詳しいデータを送るよう要求するメールが毎日のように届きはじめたのだ。

「翌年には、当院に直接来ていただき、治療の内容すべてを見ていただく機会を得ました。すると『ドグマ(固定観念)を打ち破ろう』と言ってくれた。本気になってくださったんですね」

共闘を開始した二人は、立て続けに著名学会誌に論文を投稿したがやはり相手にされなかった。

「すると柳町先生が、『もう臨床学会誌はダメだ、他の学会に送れ』と言われたんです。どういうことかというと、不妊治療の世界では、睾丸の中に円形精子細胞がいる場合は必ず成熟した精子が存在する。逆に言うと、精子が存在しなければ円形精子細胞もいないという論文が席巻していました。
円形精子細胞がいる人なら精子もいるのだから、わざわざ未成熟な細胞を使う必要はないというのが常識で、そこを突破するのは無理かもしれないと柳町先生は言うわけです」

そこで戦術変更。

他の施設で睾丸の中を調べてもらい、精子が全然いない、完全な無精子症であることが確認された患者だけを対象にROSIを施し、14人の赤ちゃんが誕生したデータをもとに論文を作成。再び投稿したが、やはり相手にされない。

「柳町先生が怒りましてね、『それならPNAS(米国科学アカデミーの機関誌)に投稿しよう』と。PNASは NATURE 、SCIENCEと並ぶ一流誌ですからね、僕にしてみれば高嶺の花で、絶対無理だと思っていました。ですが、柳町先生にも手伝っていただいて論文を作成し、ついに一昨年(2015年)の12月に掲載されてからは、世界が一変しましたね。講演依頼は世界中から来るし、日本国内でも急に認められるようになりました(笑)」

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